เข้าสู่ระบบ叱りつけるような口調。けれど、声はひどくかすれ、音の端々が微かに震えている。「水……もらえ、ますか……」「……あ、ああ。待っていろ」 黎は弾かれたように動き、サイドテーブルに置かれていたガラスのコップを手に取った。 氷が再び、カランと澄んだ音を立てる。 ベッドの縁に腰掛けた黎が、コップの縁をゆっくりと口元へ運んでくる。 上半身をわずかに起こそうとすると、後頭部から背骨にかけて、鉛を流し込まれたような重い痛みが走った。シーツを握りしめ、顔をしかめる。「無理に動くな。そのまま口を開けろ」 黎の左手が、後頭部の枕の下に差し込まれ、頭部全体を布越しにそっと持ち上げてくれた。 直接、皮膚に触れないように。 髪の毛一本にも、自分の指が直接触れないように、極端なまでに慎重な力加減。 コップの縁から、冷たい水が流れ込んでくる。乾ききった粘膜に水分が染み渡り、火照った胃の腑へと落ちていく。少しだけ呼吸が楽になった。「……ありがとうございます」 コップが離れ、枕越しの支えがスッと抜ける。 再びベッドに背中を預けると、黎はすぐに立ち上がり、また一歩、距離を置いた。 間接照明の光が、黎の横顔に深い影を落としている。 唇は、血が滲むほどに強く噛み締められ、両手はズボンの脇で、指の関節が真っ白になるほど固く握り込まれていた。 あの地下牢で、白亜が放った言葉。 氷の刃のような正論が、まぶたの裏にフラッシュバックする。『その力は、命を削る力。人間が竜の傍にいるための代償としては、ちょっと高すぎると思わない?』 息が詰まる。 黎が何を恐れているのか、痛いほどに理解できた。 あの時、有栖川の寄生具を破壊するために、無意識の限界を超えて力を引き出した。その結果、熱を出し、こうして倒れ込んでいる。 黎は、自分のせいだと思っているのだ。 自分が傍にいるから。自分が、触れるだけで無自覚に浄化を引き出してしまう
カラン、と。 硬いガラスのコップの中で、氷の欠片がぶつかり合う涼やかな音が鼓膜を叩いた。(……ここは……?) 重く張り付いたまぶたを、微かに押し上げる。 視界は水の中にいるようにぼやけ、間接照明のオレンジ色の光が、滲んで網膜を刺激した。 頭の芯が、鈍い金槌で一定のリズムで叩かれているようにズキズキと痛む。息を吸い込むたびに、気管の粘膜がカサカサと乾いた音を立て、焼けた砂を飲み込んでいるかのような熱さに襲われた。 全身の皮膚が、フカフカの寝具の布地と擦れるだけでヒリヒリと粟立つ。 微かなミントと、上質なリネンの香り。 六本木のペントハウスの寝室だ。あの地下牢の、カビと泥にまみれた冷気はどこにもない。(帰って、こられたんだ……) ホッと息を吐き出そうとしたが、喉がヒュッと鳴っただけで、うまく空気が外へ出ていかない。「……起きるな」 すぐ側から、低く、押し殺したような声が降ってきた。 ギシッ、とベッドのマットレスが片側に傾く。 視線をそちらへ向けると、淡い光を背に受けた大きな影が、ベッドサイドの床に膝をついていた。 黎だ。 普段なら隙なく撫でつけられているはずの銀髪が、ひどく乱れて額に張り付いている。仕立ての良いシャツの袖口は無造作に肘まで捲り上げられ、その生地のあちこちに、不自然な水滴の染みが広がっていた。 チャプ、と水が跳ねる音。 黎の大きな両手が、銀色の洗面器の中で白いタオルを不器用に丸めている。 ギュッ、ギュッと、布が悲鳴を上げるような力任せの動作。絞りきれなかった水滴が、ぽたぽたと毛足の長いカーペットへとこぼれ落ちているが、黎はまったく気にする様子もない。 絞り終えたタオルが、空中で一度、ピタリと止まった。 黎の視線が、こちらの顔の輪郭をなぞるように動く。黄金色の瞳の奥で、炎の揺らめきのような強い焦燥が明滅していた。 ゆっくりと、タオルを持った手が近づいてくる。 額に、冷た
「消えろ、ブラン。今すぐその首を撥ねられたくなければ、俺の視界から失せろ」 黎の声は、完全に理性を失いかけた獣のそれだった。 しかし、白亜は黎の言葉を無視し、その淡い瞳を、腕の中でぐったりとしている顔へとまっすぐに向けた。 視線には、嫌悪も、敵意もない。ただ、冷徹な事実を冷酷に観察するような、圧倒的な「他者」の目。 白亜は小さな唇を開き、歌うようなトーンで、けれど残酷なまでの正論を地下牢に響かせた。「ねえ、お姉さん。お姉さんは、ノワールの肺を楽にできる唯一の存在だと思っていただろうけれど……、逆なんだよ」「ブラン……っ!」「ノワール、黙ってて。お姉さんは知るべきだから」 白亜は一歩、距離を詰めた。その瞳の奥に、竜種としての絶対的な一線が引かれる。「お姉さんのその魂の浄化能力はね、無限に湧き出る泉なんかじゃないの。触れるたびに、声を届けるたびに……お姉さんは、自分の生命力の芯を、少しずつ薪のように燃やして炭にしているんだよ。一人でその毒を背負うには、人間の器はあまりにも脆くて、小さすぎるの」 白亜の言葉が、高熱に浮かされる脳の奥底へと、冷たい楔のように打ち込まれていく。 自分の力を、薪のように、燃やしている。 さっき、桐箱を破壊した時に感じた、あの身体の芯が削ぎ落とされるような、圧倒的な枯渇感。あれは、気のせいではなかったのだ。「今回は、あの悪趣味な呪具を壊すために、ずいぶんと大きな薪をくべちゃったみたいだね。そんなことを続けていたら、お姉さん、ノワールの肺が完全に綺麗になる前に、自分の中身が空っぽになって死んじゃうよ?」 白亜の細い指先が、こちらをまっすぐに指差す。「その力は、命を削る力。人間が竜の傍にいるための代償としては、ちょっと高すぎると思わない?」 抱きしめる黎の腕が、痛いほどに強く、きしむ音を立てて締め上げられた。 黎の体温が、恐怖によって急激に冷えていくのが、密着した肌を通して伝わってくる。 白亜の淡い瞳が、暗闇の中で、憐れむように微かに揺れた。
「そんなガラクタはどうでもいい! お前、身体が……何だ、これは。冷たすぎる。おい、瀬理亜!」 黎の大きな掌が、おでこや頬を何度も触る。 熱が、心地よいというよりも、今の身体には強烈すぎて意識が飛びそうになる。肌の表面は氷のように冷え切っているのに、身体の内側からは、恐ろしいほどの高熱がじわじわと湧き上がってきているのがわかった。脳の奥がズキズキと痛み、呼吸をするたびに、喉が焼けるように熱い。「……お前、自分の命を、どれだけ削った……」 黎の声が、細かく震えていた。 あの最恐と恐れられる黒竜の手が、怯える子供みたいにガタガタと音を立てて震えている。「……すま、ない、俺が……俺がすぐにこいつらを叩き潰していれば、お前がこんな力を、使う必要は……」「ちが、います……。私が、やりた、かったから……」 掠れた声で、なんとかそれだけを伝える。 黎のせいではない。これは、自分が自分の人生を取り戻すために必要な代償だったのだから。 しかし、黎の瞳に宿った恐怖の色は消えなかった。黎は、胸元のブローチの跡――赤黒く腫れ上がり、微かに白い煙を上げている皮膚を凝視し、絶望的な表情で唇を噛み締めている。「俺の、せいだ。俺が傍にいるから、お前はいつも……」 黎の呟きが、奈落の冷気に溶けていく。 その時。 誰もいないはずの地下牢の階段から、コツン、コツンと、場違いなほど軽やかな靴音が響いてきた。 ◇ 湿った空気の中に、突如として、圧倒的なまでに清浄な、けれど刃物のように冷徹な気配が混ざり合う。 黎が即座に反応し、腕の中の身体を庇うようにして、階段の方へと鋭い視線を向けた。喉から、威嚇の低い唸りが漏れ出す。 階段の最下段。薄暗い光の中に姿を現したのは、人間社会のものとは思えない、澄み切った銀色の髪を持った少女だった。
手のひらから溢れ出た光が、胸元にまとわりついていた黒紫色の靄を内側から引き裂き、凄まじい勢いで浸食していく。 ジジ、ジジジジジッ、バチィィン! 屋敷の壁の裏側で、無数の細い管が千切れ飛ぶような、奇妙な破壊音が連続して響いた。有栖川邸の地下を巡っていた、寄生具の目に見えない根が、瀬理亜の放った光の圧力に耐えかねて次々と破裂していく。 部屋の中央に置かれていた小さな桐箱が、ガタガタと激しく痙攣を始めた。隙間から漏れ出ていた瘴気の供給が止まり、逆に、瀬理亜の放った白光が桐箱の木目を伝って内側へと逆流していく。「おお、おおお、あ、あああぁぁぁ!」 上の階から、宗隆の狂ったような悲鳴が微かに聞こえてきたような気がした。けれど、そんな声に耳を貸す余裕はない。 全身の血液が沸騰し、そのまま指先から外へと噴き出していくような、凄まじい枯渇感。生命力を直接削り落としながら、力を放出し続ける。 視界が真っ白に染まる。 ピキィィィィン! 最後に見えたのは、部屋の中央で、桐箱が縦に真っ二つへと裂ける光景だった。すずらんの刺繍が施された布が木端微塵に弾け飛び、中から、鈍い銀色の輝きを放つ小さな物体が床へと転がり落ちる。 同時に、地下牢を埋め尽くしていた黒紫色の靄が、夏の朝霧のように一瞬で霧散した。 静寂。 耳が痛くなるほどの静けさが、奈落の底に満ちる。 胸元の激痛は消えていた。有栖川の屋敷を覆っていた、あのねっとりとした不快な匂いも、跡形もなく消え去っている。「……できた……」 小さく呟いた瞬間、全身の骨がすべて消えてしまったかのように、身体の支えが完全に失われた。 視界が急速に暗転していく。床の大理石に向かって、頭から真っ逆さまに落ちていく感覚。 しかし、硬いコンクリートの痛みが襲ってくることはなかった。 ドサリ、という重い音と共に、焼けつくほど熱く、分厚い塊が身体を真横から受け止める。「瀬理亜! 瀬理亜、目を開けろ!」 鼓膜を震わせる、取り乱した黎の声。 視界はほとんど機能して
床についた黎の掌が、苦痛に小刻みに震えているのが見えた。長い爪がコンクリートを掻きむしり、ガリガリと鈍い音を立てて火花を散らしている。黎の呼吸は完全に乱れ、喘ぐような、痛々しい胸の上下が続いている。「瀬理、亜……、その、手を……、俺に……っ」 黎は血走った瞳で見上げ、必死に腕を伸ばしてくる。 その掌に触れれば、いつもなら自分の力が無自覚に発動し、黎の肺の痛みを吸い取ることができるはずだった。けれど、今の状態で黎に触れれば、有栖川家の寄生具が、黎の持つ強大な生命力まで一緒に吸い上げ、この屋敷のネットワークへと流し込んでしまう。それだけは、絶対にさせてはならない。「来ないで……ください……!」 伸ばされた黎の手を拒絶するように、一歩、後ろへと足を引いた。 黎の目が、絶望的な拒絶を突きつけられたかのように大きく見開かれる。「なぜ、逃げる……! 俺の、傍に……っ」「黎様を、巻き込みたく、ないから……っ」 床に膝をつきそうになる身体を、奥歯を噛み締めて踏みとどまらせる。 胸元のブローチの跡は、すでに火のついた炭を押し当てられているかのように熱い。ウールコートの胸元を掴むと、指先が黒紫色の靄に触れ、パチパチと皮膚を焼く小さな衝撃が走る。 このままでは、ただ吸い尽くされて終わる。かつての母のように、有栖川の家の床下に埋もれる、見えない部品の一つに逆戻りしてしまう。(そんなの、絶対に嫌だ……!) 六本木のペントハウスで過ごした、あの温かい日常が、脳裏を駆け抜ける。 不器用に家電に敗北していた黎の姿。深夜のコンビニで食べた、甘くて冷たいアイスクリームの味。祖母の記憶を大切に扱ってくれた、あの大きな掌の温もり。 私はもう、役に立つためだけに檻の中で息を潜める道具ではない。 黎の隣で、一人の人間として、自分の名前を呼ばれて生きたいのだ。